『釣りと自分』遠い記憶・・・ 88 もう渓太以外は、1人のお客さんしか残っていなかった。 いや、お客さんではない・・・。 僕はどんな事があっても。客とかお客とは言わない。 それは自分店に来てくれる方へのマナーであり、感謝だと思っている。 従業員であった頃は、聞かれなければ良いという気持ちがあったが、 やはり、自分でやってみるとお客さんの有難みが切実だ。 しかし、あえて言う。残っているのはお客さんで無く、「焼きうどん」だ。
なぜこの男が「焼きうどん」なのだろう? 僕が勝手に呼んでいるだけなのだが、この男との因縁というか、 変な思いは、この男が初めて店に入ってきた、もう3年前から続いている。
いきなりの注文が焼きうどんだったのだ。 ちなみに、うちの店には焼きうどんというメニューが無い。 何かの時にあまった材料で酔ったお客さんに出したのかも知れない。 しかし、なんで初めて入ってきたはずの男が焼きうどんを知っていた のだろう。 こんな小さな店ではたいていのお客さんの顔を僕は覚えている。 しかも、注文する時に当たり前のようにしていた。 そして、「紅しょうが多めで」と・・・。 僕は首を傾げてしまった。店を間違えているのでは?とさえ思った。
それからこの男は、ずっと、店の定休日の前の日にやって来て、焼きうどん を注文するのである。 酒も飲まずに閉店時間までいる。ブックカバーの掛かった本を難しそうに 読んでいる。 そして3年経った今でも、「紅しょうが多めで」と付け加えるのである。
どこにでも、変なお客さんはいるのだろう。 しかし、優柔不断で怒ったことの無い僕が、ここまで嫌になってしまうのは、 ちょっとした諍いがあったからだ。
誰も見ていないようなTVの無意味な音がまた僕を苛立たせていく。
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